優しい毒・LAST
13
石に囲まれたような気のする殺風景な部屋で鉄の扉の閉まる音が響いた。
無表情な女性係員に付き添われて疲れた顔をした葉山さんが入ってきた。
俺は彼女に会釈して硬質プラスチックのはめ込まれたカウンターを挟んで向かい合い座った。
声が漏れるように開けてある穴を通して会話をする。
「あなただったの……」
「意外ですか?」
「ええ。何の用?」
「訊きたいことと、言いたいことがあって」
「言いたいことを先に聞くわ」
「龍樹さんが……マスターだけど、紅林さんから受け取った小切手、換金してあなたの弁護費用に使うそうです。紅林家に返すつもりだったけど、そんな手紙や小切手の存在自体認めるつもりはないらしくて。だから……」
「あのお家らしいわ。でも、紅林家を敵に回すような弁護士なんていないわよ」
「いるよ。龍樹さんの友達。基本的にアメリカ中心に動いてる人だけど」
「顔が広いのね。その人もゲイのお仲間?」
「ち、違うよっ! ……多分……」
「何でそうまでしてくれるの?」
「こんなこと言ったら葉山さん、怒るかもしれないけど。感謝してるし、同情してるから……」
「感謝?」
「あんた達は俺達に方向性を与えてくれたから。俺達はあんた達の轍は踏まないようにする。龍樹さんは俺を傷つけない。俺はあの人を裏切らない」
「裏切らない? 受け入れるの?」
「それがどうしても必要なら。俺は……もう逃げないって決めたんだから」
あの人が好きだ。誰よりも大切に思ってる。
それが俺の中で真実かどうか、よくよく吟味して彼に伝えるんだ。その場の思いつきで動いて彼を傷つけないで済むように。
龍樹さんが抑えている激しさをちゃんとに受け止められるように。
「口では何とでも言えるわよ」
きつい口調でいってから、フッと笑った。
「あたしには関係ないわね。ただね、自分の心に嘘はつけないわよ。自分も、相手も傷つけてしまう……」
「うん……わかってるつもり。俺、馬鹿だけど、誠実でいたいから」
「それだけ?」
「……紅林さんの手紙、預かってる」
「手紙?」
「龍樹さん、テープとネガは燃やしたけど、手紙を取っておいたんだ。中を見てしまった場合の指示が入ってて、龍樹さん宛だったし。でも、葉山さんに読んで貰った方がいいかもって」
「なんて書いてあったの?」
「細かいことは教えてくれない。ただ、紅林さんの感覚からいったら、自殺と同じくらいの覚悟持ってたらしいって。葉山さんが読みたかったらコピーを後で送るから。一応裁判で有利になるかもしれないから、原本は取っておくつもりみたい。どうする?」
瞬間葉山さんの視線が宙を泳いだ。空っぽで悲しい視線を何にもない所に向けて、微かに微笑んで。
「……それくらいの義務……あるかな。…………読んでみるわ」
しわがれた声で小さく呟いた彼女の変化に、俺は気づかない振りをした。俺には差し挟む言葉がなかったし、俺が気づいてたって知ったら彼女が嫌がりそうな気がしたから。
「じゃあ、龍樹さんにそう言っておく」
「で? 訊きたいことは?」
吹っ切るような調子で俺を射抜くように見つめてきた。訊くの止そうかと思ったくらいに気圧されたけど、引っ込みがつかないから予定通りの言葉を吐いた。
「…………後悔、してる?」
「何を?」
「紅林さんを殺したこと」
「してないわ。いえ……しないつもりだった」
俯いて唇を歪めた。震えてる。
「立ち入ったこと訊いてるって分かってるけど、知りたいんだ。俺……立場が似てるから……」
「じゃあ、言ってあげる。本当のこと。綾芽より強くあたしを愛してくれる人はいなかった。これからもいない……。ええ、後悔してるわ。得難い大事なもの、自分から捨ててしまったんだもの。綾芽は、最初からあんなじゃなかった。あたしのせいで狂って……!!
でもね、自分の心に嘘つけない。あたしはそういう風には愛せないの。だから……!」
「俺が訊きたいのは……。そういう愛って続くのかなって事。あんた言ったよね、綾芽はどこまでもついて来るって。本当にそうなったと思う? 受け入れて愛し合うようになっても、その情熱は続くかな」
「続かないわ。多分。受け入れれば同じ情熱は続かない」
ドンっていう衝撃。胃のあたりにきた。
あっさり言った葉山さんの目は冷静だった。
「欲しいものを手に入れた途端、思いは変わると思う。飽きるか、幸福に思い続けるかはその時次第だけど。同じ情熱ではないわ。……手に入ったという安心感がくせ者よね」
瞳を光らせ俺を見据える葉山さんは、俺をあざけるような笑みを浮かべた。
「くせ者って言うならあなたも。誠実でいたいって言いながら、あなた、自分の与えるものがどのくらい高く売れるか値踏みしてる。その価値が永続的かどうか、心配してる」
今度はグサッときた。抉られるような気分。
俺がなんか言う前に葉山さんはヒステリックに笑い出した。
「マスターも人を見る目ないわね。こんな計算高い男に命かけて!」
笑いが詰まって苦しいらしく息も絶え絶えという調子でそんなことを言う。
俺はそうまで言われても言い返せなかった。抉られた傷がズキズキして、言葉なんかとても出せそうになくって。
葉山さんの声が大きく響いた途端に係員の女性が飛び込んできて、面会終了となった。
乱暴に立ち上がらされて部屋を出ていく葉山さんが、ふっと振り返ったのはドアに隠れそうになったとき。
「ねえ、気持ちって変わるものよ。永遠なんてないの。受け入れた時点で、スタンスはタイになる。だから自分が相手を愛せるかどうかなのよ。愛されているだけじゃだめ。わかる? 誰だって愛されたいの。ギブアンドテイクなのよ。テイクだけじゃ成り立たない」
諭すような言い方。俺に間違えるなっていいたいのか。少なくとも最後の台詞は俺に好意的だった。口調からして。
でも、葉山さん、俺はあの人が本当に好きなんです。
だから、失うのが怖い。龍樹さんが俺を手に入れた途端に変わってしまって、俺への興味を失ってしまったら、俺は壊れてしまう。
計算してる……。そうかもしれない。
けど、愛せるかどうかが問題だって言っても、自分に自信がないんだ。
俺はいつだって長く付き合うほど相手を失望させてしまうらしいから。
そうやって捨てられたときの傷はとっても痛くて、何かの拍子に直ぐぱっくりと口を開けるんだ。その痛さを考えると、傷つくのが怖くて踏み込めない。今度は違うって思いたいのに。
それにしても……。
龍樹さんは何でそんなに俺が好きなんだろう。どこがは訊くなって言われたけど、何故は訊きたい。龍樹さんは俺に自分の幻想を載せてるんじゃないだろうか。
ああ、そんなのを計算って言われちゃうのかな……。幸せを無くすのを先延ばしにしたいってのは、誰でも思うと思うんだけど……。
やっぱり俺は龍樹さんが爆発するまで待ってしまいそうだ。
怖いけど。逃げだけど……。
くっそぉ! どうしたらいいんだよっ。わかんねぇよぉ。
憂鬱な気分で拘置所を後にした。
自分の気持ちをはっきりさせたくて葉山さんに鍵を求めたわけだけど、余計に悩みを持って帰り路に付くことになってしまった。
ホワイトデー前夜。いつものように店を手伝って、客の途切れた閉店前の時間を休憩に当てていたとき。
俺は均整の取れた美貌のマスターの横顔に見とれて考え込んでいた。
ぶつかった事なんて無かったみたいに以前のように俺は店に通ってる。ただ一つ、変わったことは俺の中での龍樹さんの居場所。
一番心臓に近い、一番弱い部分に彼が住み着いてしまった。
それはけして綺麗だからでも、俺に良くしてくれるからでもない。
俺の中で一番インパクトのある大切な人だから……。
「何?」
透き通った茶色の瞳が俺を覗き込んできた。
俺が見つめちゃってたの、気がついたんだな。
そう思ったら心臓が熱い息をドクッと吐いた。
「何でもない。龍樹さん、綺麗だからみとれてた……」
照れたように苦笑した龍樹さん、ほんのり上気した頬がすごく綺麗。
龍樹さんの微笑みを見た途端、胸のあたりがギュッて引き絞られた気がした。そのままぼんやり見つめてしまった。
「君にそんな風に見られると……困るな」
龍樹さんは苦しそうな声でそう絞りだすと、さっと背を向けてコーヒーを煎れ始めた。ほんの少し手が震えてる。
カシャーンと音がした。
「龍樹さん?」
この店で龍樹さんがこういう音だすの、初めて聞いた。
慌ててカウンターの向こうに駆け込むと、足下にはロイヤルドルトンの残骸。
「……失敗しちゃった。結構気に入ってたのにな」
震えた声は、平静を装った台詞を見事に裏切ってる。
立ちすくんだままの龍樹さんの足下に屈んで片づけようとしたら、押しのけられた。
「ごめん、今日は帰ってくれ」
声は余裕のない尖ったもの。そして俺を押しのけた手は……。
俺は龍樹さんの手を握ってみた。瞬間的に彼は振り払ったけど……。
「熱いっ。龍樹さん、熱あるんじゃない?」
「ないよ」
「嘘だ」
抗いをかわしながら額に手を当ててみた。ものすごく熱い。
俺の言った台詞に赤くなってたんじゃない。熱が出て来て上気してたんだ。
「龍樹さん、何時から気分悪かったの? 俺、全然気づかなくて。……ねぇ、休みなよ」
俺はドアの方にとって返してCLOSEDの札をかけた。
「拓斗君! 勝手なことをっ」
「だって、無理だよ。またお気に入りを割るだけだよっ」
無理して欲しくなかった。額も手も、すごく熱くて、絶対三九度以上ある。
溜め息が聞こえた。
「分かった。言うこと聞くから。多分、ここんとこ寝不足が続いたせいで、バイタルの反応なんだよ。だから君は帰ってくれ」
「どうして? 俺にだって、看病くらい出来るよ」
「恩返しのつもり? だったら要らない」
尖った声が、俺を切り裂いた。
俺を拒絶する龍樹さんに俺は……。
俺のこと必要ないって言われてるみたいで、切り裂かれたところがばっくり口を開けた。じくじく痛み出して……。
「恩返しちゃいけないの? 俺はいつもして貰ってばっかりで、俺に出来ることしてあげたいって思うの、いけないのか?」
じわって来た。
それに、俺の声、必要以上に熱くなってる。
「…………苦しいんだよっ」
吐き出すように龍樹さんが叫んだ。
思わず後ずさってしまった。それくらい辛く激しい声音。
「君は知ってるはずだ。僕の気持ちを。白状するけど、寝不足の原因だって君だ。……熱で、自分を抑えるのが苦痛なんだ。だから……帰ってくれ!」
「だって……」
縋った俺の腕を乱暴に払いのけて。
「僕は……本当の僕はね。君の全てが欲しいんだ。心も、身体も、全部! せっかく信じてくれてる君を、滅茶苦茶にしてしまいたいくらいに……! 分かったら出てってくれ> 頼むから。僕の自制心があるうちに>」
叫ぶような、泣いているようなひきつった声。
俺まで熱が出て来たみたい。
今まで通りに付き合うなんて無理だってのは、俺自身思っていたことなのに。龍樹さんも同じだったって事、俺に避けられたくないから他のこと我慢しようとしてた事、思い及ばないあたり……、俺は最低な男。
甘ったれで、我が儘で、計算高い嫌な奴。
「龍樹さん……ごめん。今まで、……ごめん」
ハッと息をのんだ音がした。
「拓斗君、すまない。どうかしてるんだ僕は」
気遣わしげな龍樹さんに背を向けて、俺はドアへ向かった。
縋るような声音が背中に絡みついてきた。
これからも俺に来いという。
今まで通りに……。
俺が望まない関係だから我慢して?
俺は……、俺は……。
考えるまでもなかったんだ。今すべき事は決まってる。
そうさ。俺はこの人を……。
ドアに鍵をかけた。出て行かずに内側から。
「拓斗君……?」
泣きそうな顔で龍樹さんが俺を見つめていた。
俺は黙って龍樹さんの前に立った。体温が感じられそうなほど近づいて。
瞳を真正面から捉えた。怖くて、一度としてこんな風に視線を絡ませたことなどなかったけど。
龍樹さんの瞳は優しくて、俺のこと愛しいと思ってくれている。
「拓斗……くん?」
熱くかすれた声が、震えた手と共に差し出された。
その手の間に割って入り、龍樹さんの背に両手をかけた。そっと額を龍樹さんの肩口に押し当てて……。
ほら、触れて見れば全然嫌じゃない。龍樹さんがまとってる空気は俺にも呼吸可能で、感触はとても心地良い。
そう思ったら、その台詞を素直に口に出せた。
「滅茶苦茶にしてもいいよ」
龍樹さんのこと好きだから……。ほんとに好きなんだ。多分一番……。
「龍樹さんは、今、俺にとって一番大切な人だよ。だから……」
龍樹さんが望むものをあげたかった。
「帰れなんて言わないで。側にいさせてよ」
綺麗な琥珀の瞳を見上げた。
「…………!」
瞳の色が潤んで金色に輝いた。泣きそうな微笑みが、感極まったという感じで…………。
龍樹さんが俺に抱きついてきた。今までの思いをいっぺんに吐き出そうとするように。
「拓斗くんっ、拓斗……っっ」
龍樹さんの唇が避ける余裕もなく俺に押し当てられ、熱い舌が俺の中に入り込んできた。絡み合い、吸われ、いつの間にか俺も応えてた。頭が痺れてくるほど心地良い。息継ぎの吐息は全てI need you.って聞こえる。それが嬉しい。
熱を持った身体が更に熱く燃え上がっている。龍樹さんのそこも、はっきりと俺を欲している。
だけど、彼は俺を自分から引き剥がした。
「……いいのか? このままいたら、僕は君を……」
潤んだままの瞳で、射抜くように覗き込んだ龍樹さんは、俺の真意を確かめようと真剣だった。
指先も、震える唇も、服を突き破りそうな勢いに高ぶっている分身も、全てが俺を欲しいと主張しているのに、瞳だけが同情なら要らないんだと俺を突き放そうとしていた。
「……いいよ。それが、龍樹さんの望みなら……。俺はもう逃げない。本当だからね」
「本当に……?」
低い声が、苦しそうに絞り出された。
「君に後悔なんかして欲しくないんだ……」
言葉だけじゃ、龍樹さんは納得しないみたいだ。
俺の心境の変化は、龍樹さんにしてみればあまりにも唐突に見えたかもしれない。俺自身で検証してみたこの気持ちは……。覚悟と言うほどの決意じゃない。けど、後悔するほど衝動的じゃない。
身体を許すことより、心を許すって感じが強いんだ。
龍樹さんに寄り添いたい。
龍樹さんをもっと知りたい。
そんな気持ち。先の心配なんかしてられないくらい高ぶっている。
何で俺は今まで、この人を怖いと思ってたんだろう。いつだって俺を尊重して、優しくて……。あったかい……この人を……。
俺は半ば誘うように龍樹さんの唇を捕らえた。避けるどころか、そんなことが出来てしまうのも、龍樹さんの唇の味を知って、いわば食わず嫌いだった自分を知ったから。
「後悔はしないと思う。ほんとに不思議だけど、龍樹さんなら……嫌じゃないんだ。でも、龍樹さんが嫌なら……」
帰ると言おうとした口をふさがれた。遠慮も何もかもかなぐり捨てたという感じで貪られた。
身体がきしむほどの力で抱きすくめられて。
耳元で囁かれる声音は熱に浮かされたように掠れてうわずっていた。
「欲しかった……。ずっと欲しかった!」
熱い息と共に耳たぶが噛まれた。
「君を愛してる。……愛してもいいんだね? 僕は……もう……止まれない……。拓斗君、……止まれ……ない……よ……?」
キスの合間の喘ぎながらの台詞。言葉も、キスも体温も……全部気持ちいい。
止まれないよ、俺だって。
「うん……」
言いながら二階の龍樹さんの居室まで導いた。入るのは二度目だ。飾り気のない簡素な寝室は、アメリカンサイズのセミダブルがあらかたのスペースを占めていて。ダークグリーンが基調の寝具の、シーツだけが純白。サイドテーブルのランプはティファニー。反対側の壁はウォークインクロゼットらしい。
あっちで稼いだ金をかなりつぎ込んで作った店だって話だけど、住空間にも当然つぎ込んであったんだな。
俺よりも長身の病人は、物珍しげに見回す俺にはお構いなしに、貸してやった肩を無視して俺にしがみついていた。何度も何度もキスの雨を降らせながら愛撫を仕掛けてきて……。
「ずっとどんなだろうと思ってた……君の肌……素敵な手触りだ……こんな風に抱き締めて、触れて、キスして……。そしたらどんなだろうって……」
熱でふらふらの筈の龍樹さんは譫言みたいに呟いてて。俺は俺で、人に触れられるのがこんなに気持ちいいなんて……、って驚いてた。
「ああ、夢……みたいだ……。本当に……いいんだね?」
俺達の喘ぎがシンクロしている。ドキドキが苦しくて、頷くのがやっと……。
「嬉しいよ……優しく……するから……」
忙しなくまさぐる手は的確に俺の服をはいでいく。その上、動作の一つ一つにキスを添え、今どんなに嬉しく思っているか、多彩な言葉をつぶやきにして俺に振りかけてきた。まるで、料理をより旨くするための調味料みたいに……。
気が付けば龍樹さんの手はジッパーを降ろして引き出した俺のを手に取り、しごきはじめてた。
そんな場所ですら、龍樹さんが触れてるんだと思うと嬉しいような気分になる。
ずっとずっと敏感になってしまうみたいで、俺は呻きながら腰を退こうとした。
「や……」
「言っただろう? もう止まれない……」
「恥ずかしいんだ……。龍樹さんに触られると俺……、なんか……」
「ああ……。気持ち……いい?」
「ん……」
「よかった……」
ベルトから始まって下着まで脱がされた。
いつの間にか屈んだ龍樹さんが俺の袋を甘く噛みながら舌で撫でていた。龍樹さんの形のいい唇を想像して怖くなった。俺の、恥ずかしいところを口でなんて……。
「やっんっ……」
腰を退きたくても龍樹さんの腕は俺の腰にしっかり絡みついて、いつの間にか後ろにも指を這わせてる……。
「そんな所……やめて……」
「いやだ。君のものだもの……全部……知りたい」
大切なものでも扱うように優しく、それでいてゆっくりと追いつめるように刺激されて、俺は少しづつ……。
「あ……んっ……た……つきさ……」
膝が笑い始めて、がくっとなった途端抱きかかえられた。
「僕に……任せて……」
喘ぎの間から囁かれてベッドに放り込まれた。
「はああっ!!!」
「っ……痛い……? 苦しい……かい?」
俺の悲鳴のせいで、龍樹さんの声が心配げなものに変わった。
俺は痛みに押し出された涙をふるい落とすように頭を振った。確かに痛いのも苦しいのもあったけど、さざ波のように押し寄せる不思議な感覚の方が俺を支配していたから。
痛みに強張らせた肩に、背に、脇に首……。優しいキスを振りかけられながら囁かれた声音は低く温か。
「拓斗……力……抜いてごらん……そう、もっと……」
言われたとおりに力を抜いたら、少し楽になった。肌に触れる感触で、龍樹さんが根元まで入り込んできているのが分かるくらいに余裕が出て来て。
「あ……ふ……」
溜め息みたいな喘ぎが口をついて出て、慌てた。恥ずかしくって、逃げ出したくなって腰を引いたらしっかり龍樹さんに押さえられてしまった。けれど動いた瞬間にまた新たな快感が……。
「あんっ」
「うっ……ん、……いいよ。それでいい……」
声と同時に龍樹さんが動き始めた。途端に俺の末端の神経まで弱電流が走った。何度も何度も、それこそ寄せ来る波のように。抑えきれない声が歯の間から漏れてしまう。
「はあ……あ……んんっ」
目眩がする。
俺は本当にどうかしてる。
いくら綺麗で俺をドギマギさせても、龍樹さんは男で。俺も、ちゃんとした男で……。それなのに、俺の中には熱く脈動する彼がいる。彼を飲み込んだ俺は新たな快感を知って、受け入れる苦しさを心の隅に追いやってしまった。
何度も仕掛けられるディープキス。唇と舌で俺をイかせて、あげくに一番憚るような場所にまで舌で愛撫してきて……。恥ずかしさと快感でとろけた俺を俯せにさせて、彼はとうとうその猛る肉杭で貫いたのだった。
突き入れられ、引き抜かれる感覚は、そのたびに俺を変質させて行くほどの新しい快感で。痛みや重苦しさは最初だけ。心が麻痺していき、俺の喘ぎは甲高い叫びに変わっていく。
「はあんっ……あっあっあっ……ああっ」
後ろから責められながら、俺自身は龍樹さんの手で優しく弄ばれていて……。体中に与えられる異なった快感が、ぶつかり合い、せめぎ合い、俺の意識を取り込んでいく。
「んっんっ……んくっ……んっんっ」
「あ……あぁ……んんっ……い……いいっ……」
俺のじゃないみたいな声。甲高く、悲鳴のような声を、龍樹さんのほんの少し苦しげな息づかいと一緒に、酔っぱらっている時みたいな間遠な感触で意識していた。
「拓斗……感じてる? ……僕を……感じてる? ああもうっ……だめだ……っっ」
言った途端の衝撃。俺の中を熱風が突き抜けたような。押し込まれてくる力が俺の体内ではじけて……。
「っひ…………」
声にならない悲鳴を上げながら俺自身は龍樹さんの手の中で放っていた。体中が痙攣して……、瞬間龍樹さんの大きさを意識した。
ああ……、俺、ホントに龍樹さんとしちゃったんだ……。
「あ……あぁぁ…………」
力が抜けていく。
俺の中で熱い思いを吐き出した龍樹さんは、一緒に果てた俺と重なり荒い息をついていた。
やがて彼はふっと深く息をつくと、抜き出される時の名残惜しげな快感を俺に教えて、密着するように横たわった。腕だけが俺を抱くように背中に残され、ゆったりと息を整えるようなリズムで撫でている。
それがまた心地よくて……。
満足げに閉じられた瞼には長く自然にカールされた睫。そんな彼を、綺麗というより可愛いと思って見つめている俺がいる。
これからどうなっちゃうんだろう。
だって俺は……まだこだわってる。
龍樹さんは、俺に女みたいな姿勢させて……。そういう風に受け入れさせて……。ほんとを言えば、予定外。男同士ってどんな風にするのか分からなかったけど。俺、男だから……。あくまでも男だからって思うと……なぁ……。
触られるのも、キスするのも……龍樹さんなら嫌じゃない。でも……、どっか間違ってるっていうか……。
俺の好きは龍樹さんの好きとは違う筈なんだ。愛してるって思うそばから、それは龍樹さんとは認識の違うもので、後で勘違いだったって思うかもって……。
そんなこと考えてたらいきなり戦慄が走った。耳の中に舌を入れられ、熱い囁きが吹き込まれたんだ。
「素敵だ……、想像していたより、ずっとずっと、素敵だった……。君を……一生離したくない」
俺を優しく見下ろした龍樹さんは、俺の敏感な場所を唇でたどりながらもう一度と強請るキスを唇に伝えに来た。
とっさに顔を背けた。
苦笑の溜め息が聞こえた。
「やっぱり……後悔……したの?」
悲しい笑みが、瞳に浮かんでた。
俺の態度が、反応が彼を傷つける。そうして付けた傷が、俺を同時に切り裂いていたのに、それを抉るように龍樹さんが言い出した。
「君のボランティア精神につけ込んで悪かった。……けど、僕が君を好きでいることは許してくれるよね?」
縋る声に俺は……。更に大きく切り裂かれた。
戸惑いや、常識や、プライドみたいなもので出来た俺という外殻。切り裂かれたその中から本音が突き上げるように飛び出した。
「ごめん……!」
俺は彼を抱き締めた。
引き締まった筋肉の隆起は、滑らかな肌に硬い起伏をつけて、俺の指を食い込ませない。滑り落ちそうな感じで縋った。そうして彼にしがみつけば、俺をまだ欲しがっている熱い彼が俺に触れ……。俺のもはっきり判ってしまうほどに固くなってた。
俺はもう、この人に捕まってる。とっくに。
こうして触れ合うことを暗に望んでいたかもと思うほど。
「ボランティアなんかじゃないっ! そんなんじゃないよっ。龍樹さんは……、俺を狂わせる。こんな気分にさせるの、龍樹さんだけだ」
そう告白した俺の髪にキスを降らせ、俺の耳たぶを咬みながら囁いた。
「初めて逢ったときから……。ずっと君に恋してた……」
多分俺も……。あの瞳が怖いって思ったのもきっと……龍樹さんとならそうなってしまうだろうと……。
だから俺は、ためらうのをやめて、俺も、と口づけた。
龍樹さんの手が俺をまさぐり始めた。指の動きとキスと愛撫。全てが熱い。
「熱……あるのに……」
「汗かけば退くさ。……こんなに感じやすい君を熱なんかのために諦めるなんて、出来ない……。絶対出来ないよ……」
「は……んっ……」
遠慮を捨てた龍樹さんは、結構強引。さっきまで龍樹さんがいたところに指を入れられて、思わず声を上げ、しがみついてしまった。
「もうっ………………」
龍樹さんの指は生き物みたいに俺の中で蠢いてる。舌で乳首を転がされて、こんなに感じるものだったのかと改めて驚いた。
既に何回目か分からなくなってる俺の欲望のたぎり。龍樹さんの愛撫によって引き起こされて、血潮が俺の中心に集まってしまう。
硬くなった俺を熱く柔らかい湿った感触が撫で上げる度、解放を求めてどくどくと脈打つ。
龍樹さんが俺のを口に含んで絞り出した。ゾクゾクと背筋を走る快感がそのまま龍樹さんに与えられるもう一つの快感を予想させる。
俺をかき回す指が増えた。
無理矢理押し広げられる痛みと一緒にうれしさが身体を走る。
「はあん…………」
「まだ、イっちゃだめだよ……。まだだ……」
「ああっんんっ。お願い……龍樹さん……もうっ」
「だめ……もう少し……」
俺の喘ぎと鼓動が速度を増して体が熱くなり、感覚を追い求めることだけしか考えられなくなったとき、指を抜かれて戦いた。
無意識の内に捕まえようとそこを震わせたのに、どんどん指は出て行ってしまって。
「……あっ! やだっ」
このままじゃ嫌だ。今のままじゃ俺……。
「欲しい?」
甘く意地悪な響き。優しく舐めてくれていたのに、根元を押さえたままそっちの動きもやめちゃって……。とろけて力の入らない俺は緩んだ涙腺から涙を、龍樹さんに手放された俺自身からは別の涙を漏らして龍樹さんを見上げてた。
ああ、欲しいよっ!
途中でやめるなんて酷いぞ。
そんな悪態を付いてやりたいのに言葉すら出す力を失ってしまって。
彼は俺に意地悪してるくせに、優しく愛しげな瞳で覗き込んでる。それはあの縋るような色で潤んでる。
「辛い……でしょ。言って、欲しいって」
俺のこと試してるの?
俺は喘ぎだけを聞かせてやって、返事はしなかった。
だって……言いにくいことだよ、それって……。
入れて、とか、頂戴とか。安っぽいポルノみたいな台詞、言えるかよぉ。
焦れた龍樹さんはせがむように俺の瞳を覗き込んできた。
「ねえ、言って。君の口から聞きたいんだ、僕のこと欲しいって……。君の中に……入りたい……もう一度……」
龍樹さん……あんたって人は……。あくまでもそういうことにこだわるんだね。
そんなに不安……? ここまでしておいて。
分かったよ。今日は龍樹さんのための夜だもんね。
恥ずかしいけど頷いた。
恥ずかしさより何より、今は欲しかった、てのが本音かもしれないけど。
「うん……欲し……い……」
やっと言えたその言葉。言ってしまえばもう何も考えなくてもいい。
だから俺も龍樹さんに手を伸ばし、視線を絡ませたまま硬くて大きな彼を握りしめた。
手の中でビクビクと動くそれは、ギリギリの我慢のあげく漏らし始めたらしい先走りでぬるっとしてて。熱くて動悸が激しくて、俺の心臓と同じリズムを刻んでた。
「龍樹さんが……欲しい。とっても……!」
「拓斗……!」
叫ぶように名を呼ばれ、腰を持ち上げられた。龍樹さんのじっとりと汗に濡れた膝にひたりと触り、擦れる熱さに俺は喘いだ。
指の代わりにあてがわれた龍樹さんに貫かれ……。我慢できずに自分の欲望をほとばしらせながら灼熱の脈動に満たされた感動に身震いした。
「ああっ……ふ……うん」
体の奥まで龍樹さんが満たしてる。不思議な安堵感が俺に吐息をもらさせた。
「気持ち……いい……。君も……?」
抱えられてる膝の裏にキスされた。
足を大きく広げさせられる格好のまま龍樹さんを見上げた。声で返事をする前に再び蘇った屹立が素直な返事をしてる。龍樹さんが俺に入ったまま俺の体を撫でていた。手のひらが乳首に触れるたびにぴりりと小さな電撃を食らう。
やがて龍樹さんが動き始めた。腸の内壁を擦るようにゆったりと。それは何かを探るような動き。
「はあんっ」
何度も動いて、俺が敏感に反応する場所をペニスで探り当てると、執拗にそこを突いてきた。
「あんっあんっあんっ」
突き入れられる度に強力な電撃攻撃を受けた気分。瞬間しびれて目の前がかすむ。けれど、その威力が消退しかけると、もっと欲しくて、もどかしい気分になる。
俺は……狂ってる。
スパークした意識の向こうで、もっと感じたくて腰を揺すってる俺を見つけた。
看病にならないのに、龍樹さんは嬉しそうで、確かに元気になってて……。俺がそうさせてるんだって思うと何だかすごく嬉しくて……。愛しいって気持ち、こんな感じかな。
「拓斗……」
俺を突き上げながら呼びかける龍樹さんを見上げた。額に汗を滴らせ、苦しそうにさえ見える表情で、それでも愛しげな瞳で俺を覗き込んでた。俺を撫でていた手は俺のペニスを握り、そこを最終地点と決めたらしく何度もしごく。やんわりと、そおっと……。
「ああああっ。ま……またい……いっちゃう……ん……」
「だめ、まだだよ。もう少し……。ほんとに……君は素敵だ……。君を……放したくない。君を知ってしまった僕は……きっと……君を独占したがる。君無しじゃいられない……。僕だけの……君でいてって言ったら、怒る……?」
喘ぎの間から、そんな台詞を真剣に言う龍樹さん、ほんとに可愛いって思える。変だね。
「怒らな……いよ……」
こんな事他の男となんかできるわけないよ。龍樹さんだから俺は……。
突き上げのペースが早まった。俺を擦りあげる手もテンポが上がる。
「あっあっあっんんんんっ」
目の前で火花が散り始めた。視野が真っ白く白んでいく。体中を光のうねりが包んでいくように。それは龍樹さんの吐息と同じリズム。
こんなの初めてだよ。こんな風に感じるなんて……信じられない。
「龍……樹……さぁん……はああっいいっ…………ん……」
「いいっ……? ほんとに? ああ、拓斗、拓斗ぉっ…………!」
突き上げながらうわずった声で叫んだ。
「拓斗っ……!」
呼びかけに答えようにも、俺の方はもう痙攣が来てて……。
「っ……! た……つき……さ……俺……もうっ」
イくって叫びそうになったとき、俺の中で衝撃が走った。龍樹さんに撃ち抜かれ、同時に俺も……。
「あ……あぁ……あ……あ……」
開放感と脱力。熱に浮かされているときのような浮遊感。
「愛してる……君をっ……君だけをっ!」
折り重なった耳元での囁きに、頷いた。
龍樹さんを知った俺も……、もう以前の俺には戻れない。
龍樹さんて人が俺の奥深いところまで染み込んでる。
抱き締めあいながら口づけを求めあいながら、そんな風に感じてた。確信していたと言ってもいい。
そうしてその夜は、何度も龍樹さんに愛された。俺が意識をとばしてしまうまで……。
窓から容赦なく入り込んで来る日差しに瞼がノックされた。
思わず呻いてしまう程に、瞼を上げることが辛かった。いや、瞼だけじゃない。怠いのは全身。ほんの少し身を起こすだけでも難業だった。
目を凝らして見つめた壁のからくり時計はひっそりと眠っていて、まだ起きなくていい時間だよと教えてくれた。
うーん……ここの窓、東向きなのか……。
肌を滑る毛布の感触が俺が裸だって事思い出させた。それと、腕の重み。背後から腰に巻き付いてきて、俺が一人じゃないことを主張してる。起きあがって、その存在を確かめた。
ぐっすりと眠り込んでいるギリシャ彫刻。
満足げで幸せそうな微笑みを浮かべた寝顔。
彫りが深く真っ直ぐな鼻筋、高い鼻梁。色素の薄い髪と同じ色の眉は綺麗で優しげなカーブを描いている。
ああ、睫も同じ色だな。
日焼けの抜けかけた象牙色の温かな肌はシミ一つ無く滑らか。頬骨が高く、厳つくない程度の肉付きの頬。微笑みの浮かんだ口元は、上下バランスの良い膨らみ加減の唇を引き絞り、バラ色の三日月を形作っている。
昨日の夜、俺はこの人と……。
そう思っただけで頭の冷えた俺は、全身に羞恥心が駆けめぐるのを意識した。体中に龍樹さんの感触が残っている。それは仄かな甘さをまとった痺れのような感覚だ。
恥ずかしい声も、恥ずかしい格好も、恥ずかしい行為も。どれも自分でそんなこと出来るなんて思って無かったこと……。
なのに、俺の恥ずかしいところを見る度、龍樹さんは喜んだんだ。嬉しいって声に出し、口づけと愛撫で言葉以上の気持ちを伝えてきた。
龍樹さんてば、もともと体調が悪かったのに、あんなに頑張っちゃって、大丈夫なんだろうか。まあ、顔色は悪く無いみたいだけど。
この満足げな寝顔は、俺がさせたことだよね。そう思っただけで、世の中で一番恥ずかしい奴だって後ろ指さされても後悔しないなって思えた。
しばらくの間、綺麗な寝顔を堪能してからベッドを降りると、俺は日差しを和らげてくれる筈のカーテンを引いた。
ベッドに戻ろうと振り返ったとき。
内股を伝い落ちる感触に慌てた。
龍樹さんの向こうの箱ティッシュに手を伸ばした。数枚つかみ取って龍樹さんの愛の印を拭い取りながら龍樹さんを眺めてみた。
穏やかな寝顔のまま爆睡中の龍樹さんは、全然気づいてない。
不意に龍樹さんの眉が眉間に引き寄せられた。腕が、何かを探すように手探りを始めて。寝顔が泣き出しそうに歪んだ。
俺のこと……探してる?
そわそわと手探る範囲を広げ、探すテンポが速まった腕をそっと持ち上げると、俺は龍樹さんの腕の中に潜り込んだ。
腕は安心したようにそのまま俺を抱き締め、ホッとしたように溜め息をついた寝顔はまた穏やかな微笑みを浮かべた。
俺はここにいるから。もう龍樹さんから逃げないからね。
ああ、親父達が帰ってきたとき、大騒ぎだろうな……。息子に男の恋人が出来たなんてさ。
そういう考えが浮かんでから、龍樹さんとの関係を続けるつもりでいる自分に気づいた。
龍樹さんとずっと、一緒にいたい。
今の俺にはそれが真実。
(ま、いっか……)
胸の内の呟きはそういう自分への赦し。
それは俺の口癖になった。